ぽちろぐ。

2匹のヨーキーと猫のちゃたろうと、長生きわんにゃんを目指す日々の記録。                      ピレニーズmixのびびは2014.1.16 天国へ行きました。


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最期の記録

1月12日


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19時頃 病院の先生に往診していただいたときの写真です。

この日の13時頃、
びびがお水も飲まずおしっこもしないので
何かしてやれることはありますか?と病院に電話してみたところ、
「動かさない方が良いかもしれないので私が行きます」
とおっしゃってくれました。


利尿剤を打ってもおしっこが出ない場合、
おしっこが作られていない=もう腎臓が機能していないということなので
残された時間は少ない、と言われましたが
この日は無事に2回おしっこが出て、
ゆっくりと休みました。


1月13日

前にも書いたけど、この日はお友達が来てくれました。
前日病院に電話したとき、
たまたま自分のわんこの診察で病院に居合わせ
先生からびびの様子を聞いてお見舞いに来てくれました。

びびも喜んでいました。



1月14日

割と安定して過ごしました。

前日お友達からいただいた食べ物を喜んで食べて、
このままの状態が続けば良いな…と思った最後の日となりました。


1 月15日


この日は前々から、13時にお友達が来てくれる予定でした。
11日に調子を崩した時、
正直、15日までムリかも…って思ってたけど
安定してこの日を迎えられて安心していました。


朝ごはんの代わりに、ペコちゃんのほっぺをあげました。
咳き込みも嘔吐もなく飲み込めました。

11時過ぎにお肉をあげました。
前の日に買っておいたもので、
普段は買わないようなわたし的には高級なお肉です。

薄切りのお肉だけど、さらに小さく切ってあげてみると
すっごく喜んでよく食べました!
が、あと少しというところまで食べたとき、
焦りすぎたのかむせたようになって
激しい嘔吐が始まってしまいました…

嘔吐が治まったあとも、
荒い呼吸がなかなかおちつきません。

酸素室に入っていても
今までにないくらい呼吸が荒く 苦しそうです。

13時になってお友達が来た後も、
どんどん呼吸は荒くなり病院に電話しても休診時間でつながりません。
午後の診察は16時からなので、
それまでは酸素室で頑張ってもらおうと思いました。

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だんだん酸素室が曇ってきました。
最初は呼吸が荒いからかな?と思ったけど
お水をよく飲むので熱があるのかも…と思い始めました。

14時頃、
お水を飲もうと歩き出したけど
力が入らずフラフラと倒れてしまいました。

少し 早いけど病院へ行ってみると、
すぐに診てもらうことができました。


体重 12、05kg 41、9℃の高熱でした。

解熱剤を使っても体を冷やしても、
40℃までしか下がりません。

呼吸も治まらないし本人がパニックになっているので、
ごく軽く鎮静をかけて少し眠らせることで
ようやく落ちつきました。


びびが眠っている間にいろいろと処置してもらったり、
先生と話をしました。

まず今朝からのいきさつを話し、
こうなった原因がお肉をたべてからだということを話すと
器具で口を開けて喉の奥のほうまでを覗いて、
見える範囲には詰まっているような食べ物がないこと、
たとえ詰まったことが原因だとしても、
ここまでの高熱が出るとは考えにくいので
癌による炎症が全身に広がっている可能性が高いということでした。

歯茎には小さいけど転移らしき腫瘤が見つかりました。
ここ数日、鼻から膿のようなものが出るのも、
鼻の奥にも転移があるのだろうとのことでした。

放射線治療が終わってから、
やっぱり癌は増殖していたのだと思いました…


そしてこのように、
本人が苦しむようなら安楽死の選択も覚悟してくださいということは
大学病院の先生から、初めから言われていましたし、
わたしもある程度覚悟していました。

ひどいことかもしれないけど、
少しでも一緒にいたいという自分の願望のために
びびに苦しみをガマンさせ続けるのは
ただの不甲斐ない飼い主だと思ってきました。

だけど医学的にはありえないって言われても、
目の前でびびがこんなに苦しんでいるのに
やっぱりまた少しでも元気出ないかな?
明日になったら落ち着くんじゃないかな?という希望も捨てきれず、
本当にどうしよう、どうしようとしか
考えられませんでした…

今はすやすやと眠っているびびだけど
薬が切れて目が覚めると、また苦しい思いをするのですか?と
聞いてみました。

先生は安楽死に関することは一切 口に出さず、
「熱はあるけど、先ほどのような苦しさはないと思いますよ」
と言ってくれたので
本当に安心しました。

今後のために、腕に留置針を入れもらって、
内股にはアイスノンを固定して、
うっすらと目が覚めてきたびびを連れて
17時に家に帰りました。

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帰宅後のびびです。

こうやって下向きで寝ていると、
鼻から血膿が出てきましたのでハンドタオルを置いて
たまに取り替えるようにしました。

帰宅後は、多少息は荒いものの倒れこむこともなく
歩いて移動したりお水を飲んだりできるようになりました。

基本的には酸素室で寝ていて
たまにアイスノンを取り替えるくらいしか
してあげられることはありません。


20時
母が仕事の帰りに来てくれましたが、
すぐに電話が入り、祖母の容態が急変したということでした。

祖母の病院までは高速を使えば20分くらい、
びびのことを家族に頼んで、
わたしと母は病院へ行きましたが
祖母はすでに亡くなっていました…

葬儀の手配などのため、母を病院に残して
急いで帰る途中、家に電話をしてみると
「すやすや寝てるよー」とのことで
本当に安心しました。
わたしがいない間に死んでしまうことだけは
絶対にイヤだと思いました。
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夜にかけて、呼吸が荒くなったりも嘔吐したりもしましたが
病院へ行く前よりは幾分ましなようでした。
手の施しようがないと思っていたけど、
行ってみて本当に良かったと思ってます。


0時頃
熱で苦しそうなので
この日 お見舞いにいただいた
ハーゲンダッツのバニラアイスを
口の中に入れると、
ごっくんと飲みました。
熱のときに食べるアイスって美味しいよね~って話しました。

これが、最後の食べ物になりました。

1月16日


4時頃から息が荒くなり、
5時半頃 何度もトイレに行き下痢をしています。
血も混ざっていました。


いよいよ…と覚悟しようとしたけど
その後はたくさん水を飲み、
8時頃には大好きなソファにポンっと飛び乗りました!

まだこんなに、力があるんだと
嬉しくなりました。
だけど食欲はまったくないようで
何も食べることはありませんでした。

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9時頃から父と姉が来て、14時に
「娘が帰ってくるから」と言って帰りました。
なのに15時過ぎに、姉が娘を連れてまた来ました。

正直言って…なんでこんなに来るの?
看取るつもりなの?ってそのときは思いました。

今まで親しい人にしか言っていなかったけど、
実は びびの最初の飼い主は、わたしの姉でした。
びびが子どもの頃に暴力をふるったのは姉の元夫でした。

書くべきことじゃないかもしれないけど…

私達姉妹は子供の頃から、
決して意思疎通に長けた姉妹ではなかったし
まぁそれは環境だったり、姉だけが悪いわけじゃないこともわかってるけど。

大人になってびびのことがあってからは
より不信感が強まったし
姉は姉で大変なのだから、と思ってきたけど
放棄するにしてもはっきりとお願いされたわけでもなく
定期的に会いに来るでもなく
わたしが求めなかったとは言え
何の責任を負うわけでもなく…
ただびびの話題はなんとなく気まずいまま、
11年が経過していました。

なのでびびの病気のことを
最初は知らせていませんでしたが、
お正月に会った時に伝えたところ
頻繁にびびに会いにくるようになりました。

16時頃

また下痢が始まりました。
この頃にはもう歩く力もほとんどないのに
頑張ってトイレまで歩いていました。

そしてもうヨロヨロなのに
姉の座っているところまで歩いて行き、
甘えていました。

びびは姉が来て嬉しかったんだな、と思いました。
姉も姉で、口には出さないけど
きっといろいろ思うところがあって、
最後にできる限りのことをしてくれたのだと今は思っています。

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体を少しキレイにして、
また酸素室に横になりました。
こうやって酸素室の窓から可愛い顔で、
見上げていました。

これが最後の写真になりました。

扉を閉めると寂しそうだったので
開けっ放しにしていたけど、
呼吸が荒くなることもなく 穏やかな呼吸でした。


そのまま立ち上がることはなく、
19時9分頃、呼吸が止まっているのに気づきました。

姉が近所の葬儀屋さんにドライアイスを
買いに行ってくれたので
その間に体をキレイにして瞼を閉じて、
お布団に寝かせてソファの上に乗せました。

そのとき、ぽちくんが2回 胃液を吐きました。
めずらしいことなので驚きました。
びびの闘病中はずっと付き添っていたなっつは、
夕方からびびに近づかなくなって
ブルブル震えていました。

その後、父とお友達が来てくれ
賑やかな時間を過ごしました。

人の出入りが多くバタバタしていたので、
猫のちゃたろうは ほとんど寝室から出てきませんでした。

23時頃 みんなが帰って、
びびをお布団ごと涼しい部屋に移動しました。
そのときにやっと、ちゃたろうはびびが亡くなったことに
気がついたようで…
叫び声をあげながらびびの周りをぐるぐるまわっていました…
びびのことが大好きだったちゃたろうなので
その後10日ほど、元気がなくなっていました。


動物同士が、どのように死を感じるのかはわからないけど
うちの子たち見ている限りでは
自分たちなりに理解しているようでした。


1月17日


朝からお友達がお花を届けてくれました。
本当にありがたい。


びびを置いて行くのは偲びないけど
祖母のお通夜だったので、
少し早めに出て、酸素室を返却しに行きました。

まだまだ長くお世話になるつもりだったのに、
たった一週間で返却することになりました。

酸素室は本当に役立ったし
もっと早くレンタルしておけば良かったと思いました。



1月18日

午前中 祖母の葬儀でした。

わたしは午後からびびの葬儀なので
祖母の火葬には行かず、帰宅しました。
びびの葬儀を明日にすれば?と言われ
そうしようかなと思ったけど、
寒い部屋でいつまでもびびを一人で寝かせておくことが
心苦しかったので、この日に決めました。


動物病院に電話して、
びびの報告と医療費の精算に伺うと言いました。
びびが亡くなったことは、酸素室のレンタル会社から
すでに連絡があったようでご存知でした。

ペット霊園から、
「遺影に使う写真をお持ちください」と言われたので
古いハードディスクを開くと
可愛いびびがいっぱいで
次から次とプリントしてしまいました。

一枚でいいのに…
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姪が手紙と、似顔絵を書いてくれました。
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お昼に家を出て、
何度も行った公園までドライブして、
動物病院へ行きました。

先生があまりにも号泣するので、
なかなか帰れないほどでした。

そして「介護を頑張った飼い主さんに、
たまーにするお話があります」と言って

アメリカに伝わるお話をしてくれました。

ダウン症の赤ちゃんは、
普通の赤ちゃんよりもお世話が大変なので
自ら両親を選んで生まれてくるという話でした。

わたしはこのお話、聞いたことがあったけど
こんなふうに言ってもらえるとは
驚きました。

「びびちゃんもきっとそうですよ」って言ってもらえて、
そうだったら良いなって思いました。


ペット霊園にはお友達家族も来てくれて、
結果的に祖母の火葬を終えた家族も間に合い、
賑やかに見送ることができました。

遠くから見守ってくれたお友達もたくさんいて、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

何度も書こうとしては途中でやめた、
びびの最期の記録を
やっと書くことができました。

11年7ヶ月と13日、
精一杯 生きた記録です。


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プロフィール

*まこち*

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*****登場人物*****

*ぽちのすけ*

2001.3.20生
 ヨークシャーテリアの男の子
一応我が家のボス(笑)
平和主義者。

*なっつ*

2001.9.7生 
ヨークシャーテリアの女の子
元気印!おもちゃ命!
ちょっと意地悪(笑)

*びび*(「ヴィヴィ」から改名。笑) 

推定2002.6.3生 
ピレニーズ系雑種の女の子
先天性の難聴はじめ
数々の疾患アリ。涙
治療、リハビリ頑張ってます★

2014.1.16
11歳7ヶ月で天国へ行きました。

*ちゃたろう*

推定2003.8.1生 
雑種猫の男の子
びびの母乳で育った野良出身。
癒し系キャラに飼い主メロメロ~

*みるちん*

2012.3.12生
メインクーンの女の子
2015.5.16   3歳2ヶ月で
我が家に仲間入り!
ぐぐっと平均年齢を下げました〜笑

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